人工知能が翻訳者をホームレスにする!!
今、人工知能が世間を賑わせています。そこで自分の仕事がロボットにとられるのではないかと心配している翻訳者も多いと思います。私もその一人です。人間が書く原稿はかなりあいまいなので、それを機械が理解してさらに別の言語で表現するというのは絶対に無理だと思ってはいるものの、やはり心配です。自分が生きている間だけでも機械翻訳が台頭する時代がきてほしくないです。もしロボットに仕事を取られたら、他に何の仕事をすればいいのでしょうか。たとえ機械翻訳が実現したとしても、ロボットの訳文を校正する役割を任せられる翻訳者は絶対に必要になります。その椅子の数は少なく、激しい取り合いとなるでしょう。私はその競争に勝てそうにないので、ロボットが介入できない何か他のアルバイトに身を寄せようと思います。何のアルバイトがあるでしょうか。その頃にはコンビニなどは完全に自動化していると思うので、セブンイレブンやファミリーマートで働くのは不可能でしょう。掃除の仕事も自動化されていると思います。
つまり、機械翻訳が実現するほど科学が発展した場合、その頃には人間が働く場所なんてほとんどないということです。(たぶん)0と1だけで計算している限りは、4種類の塩基で構成されている人間様に機械が勝てることはないでしょう。という話をどっかで聞いたことがあります。あと50年、いや100年は問題なし!!!
フリーランサーの急増で単価が下がる
外国語を得意とするのであれば、翻訳家として生計を立てることができます。特定の翻訳サービスはテクノロジーによって行われていますが、良い品質と正確な翻訳を確保するためには翻訳者がまだ必要です。 翻訳事業を始める方法を見てみましょう。
インターネットが誕生する前に、ビジネスは地方で行われていたでしょうか。小さな会社のオーナーは自宅の地域外でビジネスを行うことがほとんどありませんでしたが、現在では他の国や大陸へとビジネスを広げることが、生き残る上で必須であることをほとんどの事業主が知っています。
さらに米国で話されている言語の多様性が、翻訳サービスのニーズの必要性を高めています。1980年、米国のヒスパニック系人口は1460万人でしたが、34年間のうちに5400万人にまで増えました。
産業
2014年に翻訳産業で生じた収益は、統計によると推定370億ドルです。2018年までには470億ドルにまで膨れ上がると予測されています。翻訳サービスの主な利用者は、顧客や従業員とコミュニケーションを取る必要のある会社です。顧客のマーケティング資料や広告、取扱説明書など、翻訳しなければならないものは無数にあります。
言語の多様性に精通したネイティブスピーカーの需要が高まっています。たとえば、スペイン語はメキシコ人によって話されていません。
フリーランスまたはエージェンシー
インターネットのおかげで、フリーランス人口が急増しており、これは翻訳産業でも顕著となっています。フリランサーが自身のサービスを宣伝できるウエブサイトがたくさんあり、競争により価格が低下しています。
自分の好きなことをして副収入を得たいと思っているのであれば、フリーランスは最適でしょう。しかし少なくとも最初のうちは、希望単価で仕事をコンスタントに受けることは難しいです。
しかし、この現実が新たなチャンスを引き寄せます。訳文の質がキーポイントとなります。誤訳のある訳文を欲しいと思っている顧客はいません。質の悪い訳文を送れば、二度目のチャンスはないでしょう。しかし、信頼を得れば高い報酬を得ることができます。
KantanMT:機械翻訳の質を向上させる新商品を発表
ダブリン(アイルランド)で2015年7月22日、KantanMTがクライアントのファイルを事前処理する目玉商品を発表しました。これを用いれば機械翻訳されたファイルの質が向上します、The KantanMT Community はMTアウトプットの質を向上させるためにカスタマイズされたルールを創出、検証、および管理することによって翻訳対象のファイルを準備します。
GENTRYファイル構文解析技術に基づき、機械翻訳デコード処理前に翻訳対象のファイルを標準化します。
KantanMTの翻訳事前処理機能を用いるメリット
翻訳の質の向上:機械翻訳されたファイルの質が向上し、校正の必要性が低下します。
翻訳時間の短縮:訳文の校正プロセスが短くなることにより、仕上げまでの時間が短縮されます。
生産性の上昇:訳出後の編集作業が減ることから、翻訳の生産性が向上します。
事前処理機能を利用することにより、ユーザーはGENTRYルールファイルを作成し、プロファイルのダッシュボードに“クライアントのファイル”として更新できます。
ルールはPEX (Post-Editing Automation) rule editorで作成可能です。Editorはソースおよびターゲット言語の両方のルールの影響をユーザーのインターフェースを通してリアルタイムで示します。これはMicrosoft Word track changesと同様のものです。
“翻訳の効率性と生産性を高めることが、翻訳サプライチェーンの成功の鍵となります。“数カ月前に導入したトレーニングデータのKantanPreprocessor™を踏まえ、我々のクライアントは翻訳対象のファイルを標準化することができ、これにより翻訳の質と効率が改善します” とTony O’Dowd(Founder and Chief Architect of KantanMT)は述べます.
KantanMTについて
KantanMT.comは、機械翻訳プラットフォームに基づくSaaSであり、ここではユーザーがクラウドでカスタマイズの機械翻訳エンジンを開発および管理できます。この革新的な技術によりユーザーは750以上の言語でMTエンジンを容易に構築、ローカライゼーション作業とウェブアプリケーションを常に統合できるようになりました。
KantanMT is based in the INVENT Building, DCU Campus, Dublin 9.
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口腔ガン手術後の回復も早く、抗ガン剤の副作用もなかった
桑原里美(和歌山県・46歳・主婦)
私の家はガン家系で、両親も兄弟もガンで亡くなっています。父と兄は胃ガンで、母は肺ガン、姉は肝臓ガンでした。これだけガンで家族を失うと、いつか私もと恐れていましたが、ついに私にもガンが宣告されたのです。
6月頃、舌のつけ根のあたりに腫れものができました。別にしみる感じはありませんし、口内炎かなと思っていました。でも、1ヵ月すぎても、2ヵ月すぎてもなくなりません。さすがに心配になって近所のお医者さんに出かけました。
「桑原さん、これは腫瘍ですね。良性とは思いますが、総合病院で診てもらってください」
腫瘍といわれてドキッとしましたが、口のなかにガンができるなんて思いません。“おでき”のようなものができたと考えていました。だから、総合病院へも気軽にいきました。しかし、それが悪性腫瘍、つまりガンだったんです。
手術です。9月に、口腔ガンの手術を受けました。
手術を終わって2日くらいあとのことです。主人が「メシマコブ」を買って持ってきてくれました。普段は亭主関白でどうしようもない人ですが、このときは私の身体を心配してくれたようです。本当はやさしいところのある人なんです。
「これ、高いもんでしょう。そんなことせんでも……」
「アホぬかせ、こんなときに高い安いが関係あるか!・」
主人のこの言葉を無にしてはいけない! そう思った私は、祈りながら「メシマコブ」を飲みました。
「私も頑張るから、助けてね。まだ46歳で死んでたまるもんですか!」
ほとんど呪文を唱えるような感じで飲みましたが、そのまま飲むのはつらく、ジュースに溶いて飲みました。それでも1回分を飲かのは大変でした。
手術が終かってしばらくしてから、抗ガン剤治療がはじまりました。それでも私は、副作用をあまり心配しませんでした。主人が、「『メシマコブ』は副作用を消してくれるいうから、心配せんでええ」と言ってくれたからです。その通り、副作用もありませんでした。先生も看護婦さんも、こんなに術後の回復が早く、副作用がない患者さんははじめてだ、と驚かれていました。
3週間ほど入院がつづきましたが、退院前の検査でも転移はありませんでした。
再発が心配ですが、「メシマコブ」を飲んでいれば再発が防げるかもしれません。そう期待しながら、つづけて飲んでいます。
ガン臨床医はなぜ「メシマコブを」使うのか 北用永志[著] 定価 1000円(税別)
食道ガンが縮小、声帯を失わずにすんだ
渡辺めぐみ(静岡県・48歳・主婦)
ガンの宣告は、平成12年1月です。
胃の具合がちょっとおかしいと思ってお医者さんにいくと、バリウムを飲まされました。1週間後に結果を聞きにいくと、こう言われたのです。
「渡辺さん、胃のほうは心配ありませんが、食道に少し間題がありそうです。食べ物がつかえるような感じはありませんか」
そう言われてみると、少し前からそんな感じがあります。ありのままを言いますと、先生から一度食道の検査を受けたほうがいい、とすすめられました。
なにかイヤな感じがしました。しかし、怖がっていても仕方ありませんから、検査を受けました。そして分かったのが、私の食道ガンです。ガンは2センチほどの大きさで、小さな転移があるとのことでした。
「治療法は内視鏡でつまむか、食道を切除するか、そのどちらかでしょう。食道切除が多いんですが」
「先生、しばらく待ってください。決心がつけばお電話しますから」
こういって病院から帰ったんですが、いろいろ考えました。食道を取ると、声帯もなくなります。ガンがなくなっても、その後の生活が大変です。なんとか取らないですませる 方法はないか、と、近くの本屋でガンの本を探しました。目に、フシマコブ」という文字が飛び込んできました。なぜか分かりませんが、その文才が私には印象的でした。
本を読んでみると、かなりガンに効きそうなことが書いてありました。「こういう本はがンに効くと書くのは当たり前だ」と思いながら、私の心は自然に傾いていきました。
その本では、患者の気持ちが大事とも書かれていました。「メシマコブ」を買い、「よし、ガンに負けてたまるか」と飲みけじめました。
もともとガンと自覚するほどの症状はなかったので、変化は感じません。3日ほどすると、病院から電話がかかってきました。お願いして、2週間ほど返事を待ってもらうことにしました。もしこの2週間でよくならなかったら、最悪の場合は食道を取ることも覚悟しました。
2週間後、半ば覚悟を決めて入院しました。「できれば声帯を残したい」という私の強い希望を入れてもらい、とりあえず内視鏡でつまめるガンだけをつまむ手術になりました。するとどうでしょう。2センチほどあったガンが、牛分以下になっていたそうです。小さな転移もほとんど消えていたといいます。結果、私は声帯を失わずにすみました。
手術後、放射線の治療をしましたが、心配していた副作用もありませんでした。父母、それに兄弟は副作用ですいぶん苦しみましたが、これも「メシマコブ」のおかげでしょう。いまでも定期的に内視鏡の検査を受けていますが、ガンが増殖している気配はありません。
ガン臨床医はなぜ「メシマコブを」使うのか 北用永志[著] 定価 1000円(税別)
甲状腺ガンから10年、肺への転移を克服して職場に復帰できた
鈴木政和(茨城県・49歳・教師)
いまこうして教職に復帰できたことが信じられません。これも「メシマコブ」のおかげと感謝しています。
私はガンを2度体験しました。最初は10年ほど前で、甲状腺ガンでした。
発端は首にできたしこりで、ガンとは思いませんでした。同僚に軽い気持ちで話しかところ、一応検査をしたほうがいいとアドバイスされて発見されました。
首のリンパ節にも転移していて、手術で甲状腺全部匕首のリンパ節を取り除きました。手術後は、抗ガン剤です。転移を防ぐためと頭では理解していても、その辛さには閉口しました。食欲がなくなり、吐き気に襲われ、身体全体がだるくてやる気も出ません。
それでも辛抱してつづけた結果、なんとか退院許可がおりて職場に復帰できました。先生の指示で、その後も抗ガン剤の服用は継続しました。
そして10年が経過しました。10年も経過すれば再発はないだろうと思っていたところ、ひどく咳込むようになり、微熱がつづきました。それでもガンではないだろうとタカをくくっていましたが、診断の結果は肺への転移でした。平成12年4月のことです。
今度の治療は、放射線治療でした。この治療でも、身体全体がだるくなる副作用が出ました。治療のためとはいいながら、副作用は本当にどうしようもありません。
そんなとき、見舞いにきてくれた同僚が「メシマコブ」をくれました。なんでも、彼のお父さんが去年ガンで入院したとき、「メシマコブ」のおかけで副作用が軽くなったとかで持ってきてくれたのでした。
ありがたくいただき、さっそく飲みけじめました。1日に3回、8時問おきに飲むようにということで、1回1gを時間を決めて飲むことにしました。
飲みはじめてから2週間くらいすると、咳が軽くなりました。食欲も出けじめ、なんとなくよくなっていくような感じすらありました。
検査のたびに、腫瘍マーカーが低くなっていきます。先生は「こんなに放射線治療が効くのは珍しい」と言いますが、私は「メシマコブ」を飲んでいるからだと内心思っていました。3ヵ月後、腫瘍マーカーが正常値の範囲になり、肺に転移したガンもおとなしくなりました。決して消えてはいないのですが、少しずつ小さくなっていったのです。
そこで、思い切って退院しました。放射線より「メシマコブ」でよくなっている自信があったからです。放射線治療は自宅ではできませんが、「メシマコブ」なら自宅でも飲めます。
いまはもう咳も出ません。学校へも普通にいっています。
ガン臨床医はなぜ「メシマコブを」使うのか 北用永志[著] 定価 1000円(税別)
2ヵ月の服用で胃ガンが縮小、固定化の方向に向かった
国枝千秋(北海道・75歳・医師)
私は、北海道で小さいながらも内科医院を経営しています。正確にいえば、息子にほとんど任せて、患者さんからは大先生と呼ばれるような隠居医者です。
「紺屋の白袴」という言葉がありますが、自分の胃ガンが分からないなんて、私はまさに紺屋でした。胃の異変に気づいたのは平成11年の暮れです。忘年会の席上、食べ物をもどしてしまったのです。過去にそんなことはありませんでしたから、すぐに息子に診察してもらいました。結果は、胃ガンでした。
出身大学の付属病院で精密検査を受けてもみましたが、やはり胃ガンで、しかもかなり進行していることが分かりました。付属病院の所見では手術はむずかしいということで、抗ガン剤の治療をすすめられました。
私は悩みましたが、抗ガン剤治療を断りました。胃ガンに抗ガン剤があまり効果のないことを知っていたからです。付属病院の先生方も、「ああ、そうですか」と、私の言い分をあっさり受け入れてくれました。相手が医者ですから、無理な説得はできないと分かっていたからでしょう。同業ということもあり、余命は4ヵ月、よくて半年ということも教えてもらいました。
この年になってはじめて、ガン患者さんの気持ち、それも末期ガンの患者さんの気持ちが分かったような気がします。不安で、ジリジリして、しかもどうしようもない。自分が末期ガンになって、そんな気持ちを体験して、はじめて医者の力はたいしたことがないなと思い至りました。
有効な治療法が見つからないまま、ムダに時間がすぎていきます。そんな私の噂が聞こえたのか、免疫療法を手がけている知人から電話がかかってきました。知人は「メシマコブ」を持って来院し、これは韓国で。医薬品化されていること、科学的なデータや臨床例がそろっていることをあげ、私に服用をすすめてくれました。
前の私であれば、健康食品など笑い飛ばしたものです。しかしいまは、打つ手のない末期ガン患者です。知人の友情もありかたく、「メシマコブ」を服用することにしました。1回1gを1日3回、それを決めた時間に服用しました。
服用をはじめて1週間もすると、不思議なことに、ほとんどなかっか食欲が出はじめました。目では美味しそうに映る食事もほんの1囗か2囗しか取れなかった食事が、ご飯1杯くらいは食べられるようになったのです。「これはいいかもしれない」と感じた私は、「メシマコブ」をつづけました。
その問、症状的には格別な変化はありませんでしたが、腫瘍マーカーの数値は改善されていきました。腫瘍マーカーが改善されるということは、ガンの量が減っていると推測されました。
そして2ヵ月後、撮影したレントゲンを見て、息子は「アッ」と声を上げました。2ヵ月前に比較すると、腫瘍が小さくなっていたのです。その後、腫瘍の大きさは変化ありません。付属病院の検査では、どうやら固定化の方向に進んでいるということです。とにかく、西洋医学では考えられないことが起きたことは確かです。
「メシマコブ」を飲んだ体験は私の医学的常識を変えました。余命半年もないと宣告された私か1年以上も生きている、しかも胃ガンが小さくなっていることが次第に広まり、ガン患者さんが相談に見えるようになりました。拡大解釈も誇大宣伝もなしに、私は自分の体験をお話ししています。
「オヤジが助かったのはうれしいが、メシマコブが効いたかどうか分からないじゃないか」
息子はこう言いますが、私のような体験をすれば息子もきっと「メシマコブ」のよさを理解してくれると思います。
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「メシマコブ」のジュース割りで、余命1~2ヵ月から胃ガンと共存状態に
和田 碧(愛知県・53歳・主婦)
平成12年の3月ごろから胃の調子が悪く、体重も10キロほど減ってしまいました。
「これは普通じやない。病院で診てもらえ」と主人にいわれ、総合病院で診察を受けました。検査の結果、かなり進んだ胃ガンとといわれてしまったのです。
「ウソでしょう」と、私は思いました。そこで、ガン専門の病院で精密検査をしてもらいました。でも、結果は……やはりガンでした。そして入院。とにかく手術をということで、胃の全摘出手術を受けました。4月けじめのことでした。
でも、それだけではありませんでした。
手術を終わったあと、胸膜に転移していることが分かり、腹水がたまる状態になりました。そのときの先生の言葉はいまでも忘れられません。余命1~2ヵ月と言われてしまったのです。
その段階で、ガン専門の病院を退院しました。これ以上この病院にいても、絶対によくならないと思ったからです。親戚かいろいろと病院を探してくれ、末期ガンを受け入れている免歿療法の病院に移りました。この病院の患者さんは、それこそ余命いくばくもないガン患者さんばかりです。
ここの先生は免疫療法に詳しく、「あきらめないで治療をつづけましょう。まずあなたがガンに負けない気持ちを持つことです」と言ってくれました。
当然、手術も抗ガン剤もだめですから、どの健康食品が私に合っているか先生といろいろ相談しました。先生はいろいろな健康食品をあげてくださり、最終的に「メシマコブ」に決めました。これに自分の命を託しました。
粉のままでは飲みにくいので、ジュースで割って飲むようにしました。量は1日3回、1回について3gです。それをきちんと朝6時、昼の2時、夜10時に飲みました。
「メシマコブのジュース割り」を飲みながら、カレンダーの日付を×で消していきました。1日1日が怖くもあり、朝、目がさめて生きていることに感謝するようになりました。余命1~2ヵ月といわれてから、最初の1ヵ月が経ちました。私は生きていました。2ヵ月目の5月もすぎました。まだ私は生きていました。
そして、3ヵ月目の6月も終わろうとする頃、変化が起きました。まず胸水がなくなり、胸膜に転移していたガンもどんどん小さくなっていったのです。レントゲンを見る先生の顔も、明るくなっていきました。
いま退院して、自宅にいます。まだ転移したガンはなくなってはいませんが、別になくならなくてもいいと思っています。余命1~2ヵ月といわれた私です。その私がいまこうして生きていられること自体が奇跡です。ガンと共存できて、充実した日が少しでも長く送れればそれ以上望むものはありません。
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