看護の技術化が遅れている理由


 看護が職業として確立してから百有余年を経た。経験の長さに比して理論化が大幅に遅れているばかりか、確かな技術として提示でき得るものは、そう多くない。そのことが、看護を国民にとって有効な社会的機能であるという説明を不確かなものにし、人々の看護への理解を阻んできたともいえよう。とりわけ看護の独自の分野における実践の技術化の遅れを認めないわけにはいかない。その理由をあげるなら次のようである。

 ① 看護の発生と変遷の中で、部分的であるにせよ、個々の看護師の経験や看病に携わってきた家族のコッなどが、どのような過程で技術化されてきたかについての考察をほとんどしてこなかった。

 ② わが国の看護師発生の歴史的経緯による影響-正規の看護教育以前に誕生した看護師たちは、医制公布により新しく誕生した医師の手伝いとして発生した、つまり最初から医師の診療の補助への期待が強かった。

 ③ 戦争の影響-野戦や極限状況のもとでの看護師の働きが、戦傷の治癒を目ざす外科的操作に重点がおかれたこと。

 ④ 最も大きい問題であるが、看護の対象が人間の全人格を反映した生活行動であり、個別性が強いため普遍化すること自体へのためらいがあったこと。あわせて、人間の生活行動解明の研究の遅れ。

 ⑤ 看護師自身はもとより、患者やその家族が看護師に期待することは、人格や、やさしさであり、技術は二の次である。また、この場合の技術はきわめて狭い意味での技術であるということも無視できない。

 ⑥ 何よりも「技術」という言葉を狭くとらえ、手順とか方法あるいは小手先のテクニックといった理解が、看護の技術化ということの意味を矮小化してしまっているといえよう。