英語一辺倒の教育について

現状では、社会的小言語に対する配慮はかけています。その一方で社会的大言語である『英語』への取り組みは積極的に行われています。

北九州市では、市内のすべての小学校で、『英語活動』に取り組んでいます。さらに、北九州市全体の教育方針を議論する「教育の北九州方式検討会議」の「新しい学校づくり部会」では、イマージョン教育に基づいた「スーパーイングリッシュスクール」の必要性についての議論が行われました。参加者の中には、イマージョン教育による弊害などを危惧し、慎重に取り組むべき旨を主張する人もいましたが、会長の発言は、以下の通りです。

「日本に生まれて日本に育っている子供だけを対象に考えると、この学校は必要ないと思う。しかし、現在は大変流動性があり、外国で生まれたり、外国で過ごしたりといった子供たちが北九州市内にも多数いる。そういった子供たちにとっては、このスーパーイングリッシュスクールなどは非常に必要だと感じている」

北九州市では外国籍児童生徒は、増加の傾向にあります。しかし、外国籍児童生徒にとって必要な言語は、必ずしも英語というわけではありません。

英語圏以外の外国籍児童生徒が抱えている問題は、当該社会の主流言語である日本語、および外国籍児童生徒の母語でした。外国籍児童生徒の保護者達が危機感を抱えている「母語の保持」が十分に行われていないままに、英語が公教育の場で推進されているのです。児童生徒の中に、英語と他の言語との間に格差を当然視する言語感が形成される可能性は高いでしょう。英語の国際性を無視せよ、といいたいのではありません。教育委員会が国際理解教育の理念として掲げる「理解し合う」態度育成のためには、英語だけに力を注ぐわけにはいかないのです。また、地球上には、言語差別に苦しんだり、英語一辺倒に異議を唱え抵抗したりする人々が、数多く存在するという事実があります。人類共通の重要課題を正しく認識するのであれば、英語だけを特別視することは、問題を正しく認識しているとは言い難いのです。

地球の国際化を推進し、他者を理解な意思は尊重する態度を育成することを目指すのであれば、日本語を母語とはしない外国籍市民を排他的に扱ってはなりません。また、日本語教育サービスの提供に重点を置くあまり、無意識のうちに同化的な扱いとならないよう留意せねばなりません。外国籍市民が置かれている状況を理解、尊重する態度を育成し、互いに多くのことを学び合う言語教育サービスが求められます。