安全から救命という概念への発展


今日、救命といえば、ME機器を駆使して生命の危機に出会った人々に対する手段であると理解されている。そのため、明らかに死を防ぎきれないと予測されている人や、高齢者に対する救命策は必要悪であるとの意見もあるようである。

 だが、安全性の視点から、事故事例を分析していく過程で、単に事故だけではなく、看護師が予期しえなかった急変や悔いを残しか死亡事例の検討へと進む中で、看護過程の中に対象の生命の安全をおびやかすような因子がひそんでいるということを知った。つまり、意図的に患者に危険を及ぼすようなことはしないとしても、そのプロセスのあらゆる段階において、看護師が正しく対象の状態を観察・判断し、的確な技術を適用すれば、事故も急変も防ぎうるということである。

 このことは、ナイチングールのいう「患者の生命の消耗を最小にするようすべてをととのえる」ということの実践であり、この面での技術の向上は患者の救命に貢献するといえば、安全性の拡大解釈であろうか。

 また、人間の生活行動は生命を維持する日常的習慣的行動である。その過程のすべては、生命の安全にとってかかせない要素から成り、しかも人間らしい営みを維持・継続できるということは、それだけで、生甲斐や労働の再生産にも通じることである。病人や障害者に対するその面の援助技術は、看護独自のものであり、医療技術のような即効性や急激な変化を期待できない反面、きわめて安全性の高い技術である。

 しかし、安全性が高いからといってその援助のプロセスでの過誤や未熟はゆるされない。急激な体位変換が血圧の変動につながり、嚥下障害に対する不注意な食事援助は誤飲の危険を招くなど、患者の生命の安全に影響することもまた事実である。そこで、安全性を志向した看護技術の実践は、患者の救命にも影響する。