ネット業界の「勝ち組」がとった戦略

 ネットビジネスの歴史を振り返ってみよう。

 一九九〇年代半ばにはじまったインターネットのビジネスは、最初は法人向け事業(B2B)が中心だった。企業のホームページを作成したり、企業のオフィスにあるパソコンやサーバーコンピュータをインターネットに接続したり、あるいは企業の顧客データベースを預かって運用するデータセンターといった事業である。当時はまだ企業がIT化されていなかったから、こうした企業向けビジネスが大流行したのも当然だった。

 一方でこの当時、一般消費者向け事業(B2C)に取り組んだベンテャー企業も多かった。オンラインショッピングや映像配信などだ。ところがヤフーなどの一部の例外を除けば、多くが敗退してしまった。

 なぜかといえば、まだブロードバンドが普及せず、インターネットを普通の人が自由に使える環境が当たり前になっていなかったからだ。細い電話回線でいちいちネッ卜につなぎ、しかもそのたびに三分十円ずつ課金されていくというようなありさまでは、消費者が気楽に使えるというのにはほど遠かったのである。

 実のところ、楽天ライブドアサイバーエージェントGMOインターネットなど当時急成長を遂げ、その後「勝ち組」と称されるようになったベンテャー企業の大半は、当
時B2Bを中心に手がけていた。このあたりの戦略の違いが、その後の命運を分けたのである。

 ところが二〇〇一年ごろから二〇〇二年ごろになると、企業向けのB2Bビジネスは少しずつ儲からなくなっていく。「二〇〇〇年問題」で企業がどこもパソコンやサーバーコンピュータを買い換え、さらに企業の公式ホームページ開設も一通りすんだことから、需要が一巡してしまったのだ。このため法人向け市場の成長は踊り場を迎え、どのネット企業も九〇年代のような急成長は望めなくなった。

 それと時を同じくするように、二〇〇二年ごろからブロードバンドが普及してきた。牽引力となったのは、二〇〇一年にスタートしたソフトバンクのブロードバンドサービス「ヤフーBB」たった。当時まだ他のブロードバンド接続が月額六千円前後大局止まりしていたのに対し、ヤフーBBは月額二千数百円という思い切った安値で市場に参入し、これが消費者に受け入れられた。さらに加入者は増え、ヤフーBBに引きずられるかたちでNTT東西など他の通信会社やプロバイダもブロードバンドの料金を値下げし、それによって日本のブロードバンドは一気に普及した。

 そしてこの結果、消費者向けのB2Cビジネスが一気に花開くようになったのである。だれもがごく普通にオンラインショッピングを楽しみ、インターネッ卜経由で映画などのコンテンツを鑑賞し、インターネット経由のIP電話で友人や家族と話すようになった。

 これによって従来からB2Cビジネスを手がけて成功していたヤフーは、ますます売り上げを伸ばすようになり、ヤフーには大手自動車メーカーや化粧品会社などの超有名企業が続々と広告を出すようになった。「ヤフーは多くの人をひきつけている」と大企業に認知されるようになったからだ。

 ちなみに先に堀江貴文前社長が逮捕、起訴されてしまったライブドアも、この時代の移り変わりを敏感に察知し、B2BからB2Cへと転換した。同社はもともとホームページ作成を主な事業にしていたが、ポータルサイトの「ライブドア」を開設し、二〇〇四年春ごろから消費者向けビジネスに舵を切ったのである。同社は先を行くヤフーに対する「追いつけ、追い越せ」路線を全面展開し、かなり無理をしながらサービスのラインアップを広げていく。この無理が徐々に経営戦略の亀裂となり、結果的に粉飾決算偽計取引へと走ってしまった、というのが、二〇〇六年初頭に起きたライブドア事件の背景にあった構図である。

 ポータルビジネスというのは、企業にとってはとてもつらい事業だと言われている。知名度を必死で上げて集客しなければいけないし、そうやって集まってきたお客さんに対しては、さまざまなサービスや製品のラインアップを豊富に取りそろえて楽しませなければいけない。そうしなければ大量の顧客を集めることはできないし、せっかくいったん来てくれた顧客にもすぐに飽きられてしまうからだ。だからポータル運営というのは人員もコストもたくさん必要で、非常につらく、厳しいビジネスなのである。

 ポータルをゼロから始めようとしたライブドアは、このために事業会社をたくさん買収しなければならず、莫大な資金も必要とした。それが事件を生か土壌になったと筆者は考えている。ポータルというのはゼロから始めるのには、かなりリスクの高いビジネスなのだ。

 これは楽天やヤフーなど、一見好調に見える企業にとってもまったく同じことが言える。

 楽天は、日本興業銀行のエリート銀行マンだった三木谷浩史社長が一九九七年に設立した。当初三木谷社長は、「地ビールが美味しいレストラン」「天然酵母のパン屋フランチャイズ」「インターネットショッピングモール」という三つのビジネスモデルを検討したが、その中から将来性を考えてショッピンクモール事業を選んだという。このショッピングモール「楽天市場」がベースとなって、現在のような巨大ポータルサイトへと進化してきたのである。

 楽天が成功した要因は、次の二つだったと私は見ている。

 ショッピングサイトをつくって何かを売るのではなく、ショッピングサイトにホームページの場所を提供する「ショッピングモール」というビジネスモデルを選んだこと、ショッピッグモールの出店料に従量制ではなく定額制を設定し、地方の中小店舗でも簡単に出店できるようにしたことである。

 九〇年代当時は先ほども書いたように、B2C市場は未発達だった。そこで楽天は、一見消費者向けのビジネスに見えながら、実はB2Bであるショッピン具モールというビジネスモデルを選択した。消費者ではなく、企業を取引先にすることで、うまく収益を上げることができたのである。

 実際、楽天が打ち出した「ショッピングモールへの出店料月額五万円」という値段は、全国への販路を持っていない地方の中小企業を魅了した。複雑な流通を経由せず、地方の地場産業と消費者を直接結びつけることができるというインターネットの最大のパワーである「中抜き」が、五万円という低価格サービスと結びつき、一気に楽天のビジネスを拡大することになったのだ。