看護の主体性と安全性

 看護の主体性と安全性  褥瘡裁判は看護界にさまざまな波紋をよんだ。他人事として片づけられないところにこの裁判の特徴かおる。入院中の患者に褥瘡をつくってしまうということは、本来あってはならないことである。褥瘡の予防は決して心がけやモラルではない。また、局所の問題でもない。トータルな全人的なケアの結果が褥瘡を作らない看護に通じるのである。  そのためには、看護師自身が看護のために立案した方針にそってヶアを実施する必要がある。医師の指示に基づく看護師の判断抜きのケアではない。これまでの経験の蓄積から、褥瘡のできやすい患者の条件については一定の知識をもっているはずである。であるのに、なぜ褥瘡の形成はあとを絶だないのか。確かにどのような入念なヶアをもってしても防ぎえぬ身体的な条件もあろう。極度の栄養の低下、貧血、強度の浮腫などのある場合、体位変換をはじめとする予防のヶアそのものがその人の全身状態の悪化につながる危険をもっている場合もある。だが、多くはその上うな状態の時よりも、高齢で失禁していたり、ぽけの進行で意志の疎通がうまくいかない場合などのように、明らかに看護の手落ちで形成されてしまうことに注目する必要がある。つまり、看護師が誰かの指示によらずとも自らの判断で予防しうる状況が多いということである。  また、主病以外の感染の予防はどうであろうか。入院後に“炎”という字のついた診断名がついたら、その大半は看護師の責任であるといってもよいくらい、看護師のヶアにより防ぎうる感染は多いと思う。尿路感染にしても上気道感染にしても、看護師の手技上の注意で防ぐことは可能である。たとえ、医師の手技に問題があるとしても、その介助につく看護師の責任がないとはいえない。看護師は診療の全過程で患者の安全を見守る責務があるからである。