看護における安全性と安楽性

 看護の基礎教育で用いられている“安全”という用語は、人間の基本的欲求の一つとして位置づけられている。これはマズローのいう欲求のヒ子フルキーを参考にしたものであろう。そして、「安全が阻害されたとき、人間のほとんどの欲求に障害を起こすとともに生命をおびやかすことになる」として、看護評価の第一に対象の安全ということをあげている。  ヘンダーソンも一四の基本的ニードから基本的看護の構成因子として「患者が有害な環境因子を避けられるように。また、感染・暴行など潜在的な有害因子から患者及び他人をまもること」という一項をあげている。  アブデラもまた、21の看護の問題点の中で「事故・傷害を防止し、病気の感染予防をとおして行なう安全策の促進」をあげている。  看護の技術化をはかるという問題意識のうえで、その一つの柱となる患者の安全について共同学習をすすめてきた。そして、看護上の事故分析を始めた二五年前ごろには。安全という用語を用いていたが、学習を深める過程で、この用語にもっと広い概念をもたせる必要を感じた。学習をすればするほど、単なる事故防止のための心がけや手技上の問題だけではないことに気づいたからである。それは、その背景の人間の生命や人権に関する看護師の考え方、技術を提供する目的や、その過程にまで範囲を広げないと解決しない問題が多くあること、しかもそれは、看護独自の問題ではなく医療技術全体にかかわるシステムの問題を抜きには考えられないということを感じたからである。以来、安全性という用語を用いている。  一方、“安楽”については、その概念の説明をしているものはなく、患者の苦痛の軽減をはかる意味とか、個々の手技が患者の安楽を阻害するようなことがあってはならない、というような意味でこの用語が用いられているようである。  看護技術の安全性と同様に安楽ということが、看護の技術の重要な側面であると位置づけ、苦痛や不快や不安の軽減という狭義の意に加えて、患者がより人間らしくあるという意味をもたせて安楽性という用語を用いることにした。  そこで看護における安全性とは、対象の生命の尊重を基盤に、まず患者が安全であること。さらに、看護実践のあらゆるプロセスが安全であること。その技術を提供する背景となるシステムや手順を含めて安全であること。したがって、患者の病状を悪化させたり、患者を危険な状況に会わせないことはもちろん、それ以前に予測される危険因子を排除することをいう。  また、看護における安楽性とは、患者が単に苦痛や不安や不快がないというだけではなく、病気や障害や年齢のいかんにかかわらず、人間の尊厳を維持して個別的な生活様式や生活習慣にそって、より人間らしい生活ができるということをも含めた概念であると理解したい。このように広義の意味をもたせた理由については後述する。強調しておきたいことは、安全性と安楽性の概念は拮抗するものではないということである。安全性をより重視する技術のプロセスは安楽であるべきだし、安楽性を重視する技術のプロセスの安全が無視されると安楽性は獲得できない。