絶望的な胸膜悪性中皮腫が、4年もおとなしくしている
山口義輝(千葉県・38歳・内装業)
4年ほど前、仕事先の現場で急に胸苦しくなり、意識を失って倒れました。
救急車で病院に運ばれて診察され、胸膜の悪性中皮腫と診断されました。はじめて病名を聞いたときなんの病気か分かりませんでしたが、悪性という言葉が引っかかりました。
「先生、それってガンということですか」
こう聞いた私に、先生は静かにうなずいただけです。
あとで調べてみると、この病気はアスベスト(石綿)が原因と言われているそうで、仕事柄、私はアスベストを扱っていました。アスベストが危ないと言われるようになってから使わなくなっていましたが、それまではずい分使いました。そのせいで、こんな病気になったのだと思います。
もっとショックだったことは、この病気は治りにくいことでした。ある本には、“いままで治った例がない゛と恐ろしいことが書かれていました。
最後の望みを託して手術を受けましたが、肺にまで転移していたそうで、結局、ほとんど手をつけないまま胸が閉じられました。
「うまくいってあと1年か2年、場合によっては半年ということもあります」
先生の話を聞いたとき、私の心境は「万事休す」の一語でした。妻に内緒で、遺書も書きました。それでも、抗ガン剤の治療がはじまりました。私は牛分以上あきらめていましたから、抗ガン剤の治療は受けなくてもいいと考えていたんですが、先生があまり熱心にすすめられるので、そこまで言われるならと受けることにしました。
心配した妻が、親戚や知人にいろいろと相談し、ある人から「メシマコブ」のことを聞き込んできました。
妻のすすめるままに「メシマコブ」を飲みました。普通1回1gを1日3回ということでしたが、量は2倍にしました。量を倍にした理由は、こういう健康食品は取りすぎても害はないだろうということと、倍取ったらもしかしたら倍の効果があるかもと勝手に考えたからです。
抗ガン剤の治療を受けながら、1人の看護婦さんが気になりました。別に変な意味ではありませんが、私の処置にくると、なぜか落ち着きがないのです。まだ新米さんらしく、どうやら2年あとにはこの世にいないような人問を見るのは辛いようなのでした。
私は、思いました。
「できることなら、妻とこの看護婦さんの笑顔を見て退院したいもんだ」
そう思うと、「メシマコブ」を飲むことにも力が入ります。
抗ガン剤の治療は苦しいものです。周りの人を見れば、その苦しさがよく分かります。
しかし、私の場合、「メシマコブ」が効いたのか、看護婦さんの笑顔を見たいという勝手な気持ちがよかったのか副作用が出ませんでした。食欲もなくならず、あまり美味しいとはいえない病院食も残すことがありませんでした。どうやら病状が固定した感じで、退院しても大丈夫だろうということで、半年後に退院しました。
「お大事にしてください」
そう言って、くだんの看護婦さんは笑顔で出口まで送ってくれました。もちろん、妻も笑顔だったことはいうまでもありません。
それから足掛け4年です。余命1年か2年といわれた私か、4年も長生きしています。「メシマコブ」の量は半分にしましたが、病院で検査を受けるたびに、“現状維持”といわれます。現状維持ということは、それだけメシマコブが効いていることになります。
あの看護婦さんも結婚して退職しましたが、ガンと闘うにはなんでもいいから目標を持つことだと思います。私にとって、目標は妻と看護婦さんの笑顔を見ることでした。
ガン臨床医はなぜ「メシマコブを」使うのか 北用永志[著] 定価 1000円(税別)